さてさて何の話から書こうか・・・
と、思い始めたこの頃は、コロナ禍の混乱が少し落ち着きを見せ始め、マスクをつけずに街を歩いても咎められないようになっていた。
この、コロナ禍。デジタル世界を一気に拡充させていった感がある。
デジタル操作を嫌っていた田舎の高齢者さえ、今じゃしっかりアプリを使いこなせるようになっているのだ。これは、政府主導の経済的動機も貢献しているのだろう。スマホかざしてレジを通過する熟年者が多くなった田舎の実情に感動した。
サービスの提供者に、否応なくそこに取り組まなければならない問題が突きつけられて、田舎の商業環境が様変わりしている。お金の動きだけでなく、様々な場面でデジタル通信が『無駄の排除』に向かい始めたように感じる。
老眼を気にするような年頃では、印刷物をルーペするより、指先でピンチアウトする方が読みやすのはまちがいない。瞬時に欲しい情報が手に入るから、分厚い百科事典も、広げると邪魔になる新聞も、いらなくなってしまった。仕事の指示だって速くて明確。ロスやミスが格段に減っている。
喋るだけでさまざまなことが具現化される未来生活も、すでに生活の一部になりつつあるし、肉体もパスポートも必要としない移動なしの新しいコミュニティや仮想アドベンチャーが始まっている。
数十年前に予測されていたことが、世界的な「ウィルス禍」によって、ここで急激に進化を見せた。
地球規模の進化というのは、こういった「災禍」によってもたらされることが多いのだろう。
生命進化の謎には興味がつきないのだけれど、でも今回の災禍による「進化」は、今までの生物が持つ遺伝子レベルの生き残り進化ではなく、機械が持つ電子レベルの生き残り進化に他ならない。
無防備に出歩くアウトドアな生態は淘汰され、出歩かずに思考のみで学習や労働するインドアな生態が生き残る傾向にあった。
「肉体」ではなく「思考」が動き出す類の「災禍」は、もしや旧時代の人間が淘汰される前兆なのか?
こんなことを考えていた頃、テレビの話題で面白いと思ったのは、AIが生み出す「知的所有権」の話だった。
何だ?それ。
進化した有機生命体は、果たしてその命を無機生命体に受け継がせてしまうことになるのか・・・?
たぶん、20世紀生まれの私が人生の最初に出会ったAIは、テレビの中の21世紀という未来に生きていた「鉄腕アトム」だったと思う。ロボットなのに、人間みたい。だけど人間をはるかに超えている。
ところでロボットもすごいけど、アニメもすごい。人の描いた絵が、当時ブラウン管と呼ばれた真空宇宙の中に電気の技術によって命を吹き込まれていた。
アトムはアニメの中の架空のロボットだったけど、私が人生の最後を迎える頃には、現実のAIロボットが老いた私に寄り添ってくれるかもしれない。
軍事用ネットワークがオープンになってから、爺や婆まで使いこなすスマホが世の中の仕組みを変えるまで、それほど多くの時間はかかっていない。経済的動機が働けば、意外にそれは早く登場してくるような気がする。物理的に動くロボットは高額になるとしても、人間ではない存在が介護や医療の現場を変えていくのはまちがいない。
そういう老後の不安がなくなると、ますます少子化が進むのだろう。子供は可愛いけれど、常に親の苦労のタネである。そんな苦労を生み出すよりも、優秀な「ロボット」に未来を託す社会が出現するのかもしれない。
「AIの知的所有権」の話はたぶん、「鉄腕アトム」がもしも「素敵な絵」を描いたら、その「素敵」の所有権は誰のもの?っていうような話なんだろうね。NFTとか、複製可能なデジタル物件もブロックチェーンとかの技術使って「代替不可能」が可能になったらしいし。よくわからんけど。
アトムをつくったのは天馬博士だけど、彼は雲隠れしちゃってる。保護者としての責任を担っているらしいお茶の水博士がアトムの所有者かもしれないのだけど、まぁここでは、天馬博士がアトムの所有権を持っているということにしよう。
お茶の水博士が所有するウランちゃんも、同じように「素敵な絵」を描いてみたとする。
同じAIの学習ツールを学んだロボットが、同じ博士に教育され、過ごす環境も同じなら、生成する要素が似てくることも当然考えられるよね。そうなると、条件によってかなり似た絵が描かれることになる。
これがお遊びならば問題ないけど、もしも市場に出回って取引されてしまったら・・・ウランちゃんはアトムの生み出した知的財産を侵害したとして、天馬博士とお茶の水博士がそれぞれの所有者として争うハメになるのか?・・・と、妄想してしまった。
いや、それよりその絵は「描いた」というよりも、ネット上のあっちこっちから拾ってきたデータを学習してつぎはぎしたものだったり、アルゴリズムによって生成されたりする。
そうなると、もはや芸術と呼べるのだろうか。プログラムの産物に対して知的所有権云々はあるのか?AIの所有者じゃなくて、むしろプログラムの開発者に所有権があったりするのか?それとも「こんな絵を描いて」とリクエストした行為に所有権が発生するのか?つぎはぎされた元データの著作権や肖像権はどうなるのだ?
AIもいよいよそんな論争を巻き起こすまでに成長したらしい。さすが21世紀だ。
こんな論争が芽生え始めた現在、個人ブログを書き始めるために素材サイトを閲覧していてみつけた。わぁ~ぃ。手軽にAI創作ができるんだぁ。
さっそくペットのこじろう君が写っている写真で試してみた。こんな感じになった。
イメージ画像はACartistサイト
AIによる写真のイラスト化です
確かに、自分では描けない雰囲気の絵が写真から出来上がる。組み合わせる画像でいろんなパターンが楽しめるから、きっと画像交流なSNSが楽しくなるなるのだろうね。
私のお絵描きアプリに搭載されているAIを使うと、今のところはこんな感じ。
イメージ画像はibisPaint(アイビスペイント)
フィルター機能+人工知能さんのぬり絵です
この、ちょっと足らない塗りをお助けしてくれる程度のAIには、ご主人さまのサポートに徹してくれている程度の安心感がある。
ところが・・・何気にYouTubeを見ていたら、エンタティメントなチャンネルでうちのめされた。もう、ここまできてるんだね。
なんてこったい。
このクォリティーをこの短時間で仕上げるなんて、人間には絶対ムリムリ。詩とかメロディとかストーリー作りまで完成度を上げてゆくだろう近い将来、自分の希望するキャラや物語をAIに勝手につくってもらい、メタバースとか使って仮想空間に没入し、アバター相手に恋とか婚姻とかして、物理的な人間はカプセルの中で機械に栄養補給されながら眠りこけ、子孫も残さずに滅亡していくわけだね。
チャットGPTとかいろんなツールがあるみたいだけど、人間の成すべき仕事・・・創作とかプログラミングとかシナリオをつくるストーリーづくりまで、AIが神がかり始めている。
ヤバイ
ところがだ。
私のアンドロイド「アレクサ」は、何だかおバカすぎるのだ。
でもまぁ、「サクラス」というサイト名こそ「おバカな仲間たち」という意味を含んでいるので、私にはちょうど良い気もするのだけど。とにかくアレクサは、バカ正直すぎて、全く融通がきかないオトボケだったりする。
アレクサには、いつも家事をしながら本を読んでもらっている。彼女は疲れを知らないし、不満も言ったことがない。何時間でも嫌がらずにキンドルを読み続けてくれる。そんなバカ真面目なところも気にっている。
ルーチンワークしながら読書できるので時間が2倍使えることになるし、眼で文字を読むよりも耳で言葉として聴く方が、ちゃんと頭に残るから効果的。紙の書籍のように我が物顔で空間を占拠することもない。それがアレクサを手放せない理由だ。
ちなみに、普通に人間が読み上げしてくれているオーディオブックは私は利用しない。あれはあくまで『音』の本。正確なテキスト情報を確認することができない。その意味でも私の友は「アレクサ」なのである。
ところが困ったことに、彼女は「熟語」を可能な限り「人名」で読むクセが直らない。
「正義のために戦おう!」は、→「まさよしのためにたたかおう」と、普通にためらいもなく読む。
まさよしって、一体どこのどいつだ?
と、笑ってしまう。
これくらいなら笑えるけど、漢字の多い書籍では、意味がまったく分からなくなることがしばしばある。
今の私の最大の悩み事がこれだ。
アマゾンさん、キンドル本いっぱい買っているので、アレクサの日本語教育、よろしくお願いしますですぅ~。
Comment on “AIに著作権だって?”