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このページの内容・*★*.:.*・
宿題
WordPressの怖さを実感

ある日突然、WordPressがこわれてしまった。
この頃やっと、
こいつの良さがわかってきたかも・・・
と、ブロックエディターに愛着を感じ始めたばかりなのに。

涙が黒くなるほどのメークはしていないけど
こんな感じで叫んでいたかもしれない

積み上げたブロックページが、一瞬で崩壊した。
まるで一瞬のブロック崩しだ・・・
バックアップもオプション契約しておいたのに、そっちもエラーが出て戻せない。サポートに問い合わせたけど、私のスキルでは解決できなかった。使えないオプションは解約した。
もしかしたら、今どき必要なちょっとした知識がないせいで、対処法がわからず過去の時間を失ったのかもしれないけれど、でもそのおかげで新しい方向に向かうきっかけができたのだと思う。
こういう原因不明のトラブルは、私にはよくある。それは、自分の必要によって起こっているのだと思うし、その必要がどういうものであるかに気づくことが大切だ。
トラブルは自身からのメッセージであり、チャンスなのだと思う。必要を越えた執着は前進を妨げる。
それがわかればいい。
宿題・*.: *★*・
私には、たぶん・・・人生の宿題がある。
可もなく不可もないこの平凡な人生を与えられたのは、たぶんそのためだろう・・・という気がしている。
気のせいかもしれないけどね
どのみちこの肉体の中で「自分」として生きていること自体が気のせいだろうし、気の向くまま思い込みで生きて行ってもいいだろう。
宿題をこなすために、自分は物質化したのだ
と、思い込んだある日を境に、面白くもない自分の現実が意味ある毎日に変わったのは確かだ。
自分の人生を思うままに生きられず、狭く暗い土地に縛り付けられていた私は、自分がなぜこの土地に産まれ縛られてしまうのか、その理由をずっと知りたいと思っていた。
自分の思う通りに行かなかった過去を嘆いてウツウツと暮らすよりも、今なぜこんなことになっているのかという現実を受け入れて過去を振り返ってみたら、意外にも自分の人生はファンタジーだったのだ。
宿題・・・ ?
「宿題」というのは、つまり未解決出題であり、一人でじっくり向き合って考えるための「解決すべき課題」であろう。
誰も見ていない「課題に向き合った時間」を、「まじめにやりました」と証明するために、何らかの結果を示す必要がある。
誰に証明するのかは知らんのだけど
まぁ、誰でもいい。学生なら点数をくれる先生一人を納得させるために、自分の結果をコツコツと何ものかに記入するものだ。
紙製ノートのかわりにWEBログをマイノートとして選択するのも悪くない。
WEBログ・・・ ?
通称「ブログ」。SNSのような「みんなのタイムライン」にのっかるのではなく「自分自身のタイムライン」。URLなる仮想スペースに自分の思考や情報、あるいは写真や創作などを格納し、公開する。
人を中傷したり世間を惑わせたり、危険や混乱に陥れたりしなければ、たいてい何を書いても許してくれる言論自由な現代の日本という国にも感謝をしている。
祖母が自身のことや父親の記録を文字で残そうと思った時代は、写真も入らない誤字だらけのお粗末な活字冊子を親戚に配布するしかなかったけど、今なら好きな時に好きなことを書いて、写真やフリー素材のマンガ、あるいは外部データまで貼り付けてスマホにリンクを送るだけ。
祖母の記録もWEBページにすれば、同じ時間を生きることのなかったひ孫世代にも読んでもらえそうだ。
作文を公開するために、まずは自分の思考を文字化するこの世界に慣れ親しむことから始めなければならなかったのだけど、自分の頭の中のモヤモヤを文章に綴るのは、慣れない人間にとっては思いのほか難しい。
他人さまのモヤモヤした思考をプロットして要点をまとめたり、現存の情報を整理するくらいのことなら私もそれなりやってきたし、それは人の役に立てているようで楽しかったのだけど、自分自身の感覚がとらえた見えない思考や不思議を文字でストーリーするのは、とても難しく苦痛だ。そして誰も褒めてくれない。
書きながら・・・
私の遺伝子には、自身の思考を表現していく才能と能力が組み込まれていないのだな
ということを、つくづく思い知ることになったわけで、いくらお絵描きが好きでも「自分の作品」というものを全く描けなかった原因はここにあることに気が付いた。
「必要」を具現するために他人に目を向ける「職人」と、「心の内面」を表現するために自分に目を向ける「作家」では、似ているようでちがう才能なのだということを思い知った。
もしも私が「作家」としての才能を持ち合わせて自身に翻弄されていたら、きっとこの人生はやりきれなかっただろうと思う。家族に振り回され、自身の成果は少ない人生だったけど、「人としてやるべきことはやってきた」と自分をほめてあげることは、今の私ならできる。
介護のために仕事を離れて久しい私は、家族に翻弄されながら、それでも自分の内面にため込まれたものを表現するのが、自身の終焉に向けて取り組むべき宿題なのだと思っている。
芸術家でも作家でもなく、ただ宿題に追われている存在としての自身を客観視して、外側から自分を問うてみるしかない。もう一人の内なる自分という他人をプロットアウトするのだ。
WordPressの怖さを実感・*.: *★*・
WEBは手軽ではあるのだけど、書く前にたくさん管理のお勉強が必要だ。
それゆえブログサービスとか、簡単に取り組めるものをいろいろ試してみたのだけど、ブログサイトに用意されたテンプレートで自分の思うようなスタイルを求めようとすると、かえってやっかいなことになるのだと思い知った。
最終的にWordPressという、ブログも固定ページも思いのまま、というコンテンツ管理システムを使うのが、一番自分の性格に合っていると思えた。
こだわりたいところはそれなりこだわれるし、そうでないところは書きたい内容だけに集中できるよう、自前でブログシステムが構築できる。なかなかのすぐれものだ。
表現手法に慣れたところで、いよいよ宿題に向かうためにこれからどのように展開していこうかと、プランを練っていた時に、WordPressに問題が発生してこれまでのページが消えてしまった。

イメージ画像はAIさんの迷宮のイメージです

それにしても、WordPressは便利だけど、トラブルが発生すると怖いシステムだと思う。
頻繁にバージョンがアップがあり、昨日まで普通にできていたことができなくなったり、操作や表示が変わるためにしばしば混乱したりもする。
今後は、メディアライブラリを使わずにFTP画像をリンクさせるようにして、コードオンリーでバックアップする方が私には向いているようだ。
こんな、表現技法の失敗ばかりで私の宿題は、果たしてこなしていけるのやら・・・