ソフィア神話

ソフィア神話とは

グノーシズムと一言で言ってみても、その教義を問えば宗派によって様々だと思う。

キリスト世界に残された形としては『カタリ派』が知られているかもしれない。イスラム世界に取り残された『マニ教』や『マンダ教』などもあるが、その世界観はよくわからない。

以前、坂東眞砂子氏の『旅涯ての地』を読んだことがあるので、『カタリ派』の禁欲的な生活は少し理解できる気がする。禁欲を求めることで、穢れたこの世との縁を絶ち、本来人間が立ち戻るべき清浄な世界に到達する、というような思想のようであるが、キリスト世界では『異端』として扱われている。

💛 おすすめ参考書籍 Amazonページ
坂東 眞砂子 著 『旅涯ての地

この考え方は、仏教とかなり似ている。そして微妙に、あるいは大きく考え方の違う宗派が派生してしまう性質も仏教的だし、宗派ごとに異なる教義が、それぞれ難解であることも同じだ。

だが仏教は、世俗との共存を前提として、出家者だけが生殖を禁じられるのに対して、カタリ派の信者は全員生殖をしないらしいので、弾圧される前に、遺伝子的に自滅するという道を歩んでいるようにも思える。彼らは肉体を失ってこそ、真の『自分』に立ち戻れるのかもしれない。

仏教が権力者や金持ちに支持されたのは、社会的身分制度が強烈なバラモン教世界において、悟れば誰でも仏になれるという『希望』を、自ら修行せずとも既に修行に励んでいる『出家者』への『布施』によって分け与えられたからではないかという気がする。

そうでなければ『修行』を始めることで、『悟』を得る前に皆が飢え死にしてしまう。出家者は生殖どころか食料生産もせずに修行に励んだのだから、『修行』の成果を分けてもらうには、彼らに生きてもらわなければならない。

そういう仏教システムが働いていたことで、『仏』の他に『菩薩』が生まれたのではないかという気もする。

私がグノーシズムに惹かれたのは、これが『東方に向かった仏教』という気がしたからで、私の中でグノーシズムは『インド思想の影響を受けた中東思想』というように位置付けているが、個々の宗派についてはよくわからない。

ヘレニズムという世界は、あらゆる文化を習合させて新しい価値観を創り出した文化フィールドなので、ギリシャ人の好きそうなインド思想が、西方に伝わらなかったはずがない。これが歴史的な理由からローマ化とイラン化に分かれたのではないかと思う。

イラン的な呪術色の濃い大乗仏教が花開いたのは、そういう時代だったように見える。遷聖記の中で『胡麻』に『護摩』をひっかけたのはそういう意図もある。東方に伝わったことで大乗仏教は生き残ったけれど、西方に向かったインド思想は、後に唯一神に弾圧されて消え去ってしまったのだろう。

その消えた思想の中で、エジプトという秘教的フィールドでギリシャ思想の中から成長した、グノーシス神話がとても面白いと思った。さすがにギリシャ人は哲学を物語として表現するのが上手すぎる。


しかも、この神話の中でキーとなる母神『ソフィア』は、日本神話の『イザナミ』そっくりなのだ。国生みの神である『イザナミ』が、産んでおきながら船で流したという、神話に記述する必要性もなく、神の行為としてありえない『子流し』の謎も、この『ソフィア』の神話に由来しているように思えてしまう。

💙 サイト内詳細ページ 『グノーシス神話と日本

それで、『ナグ・ハマディ写本』の記述をつなげて見えてくる神話を『ソフィア神話』として遷聖記の中で『神々の謎』を探るベースの神話とした。

💛 参考文献 大貫 隆 訳・著 講談社学術文庫『グノーシスの神話

プレーローマの神

アイオーンは最初『ひとつ』だった。全てのものはこの『1』から始まる。だが、宇宙の原理(イデア)は『ひとつ』では収まらない。最初の『1』は自らを分裂させて対極するもうひとつの『1』をつくり『2』となった。この『2』が更に『2』を生み変化をもたらす。

そのような原初の『アイオーン』は『独神(モノゲーネス)』あるいは『両性具有(アンドロギュノス) 』などと呼ばれる。

両性具有(アンドロギュノス) 』はやがて、『1』のまま別の『1』と引き合う『多神(ポリゲーネス)』を流出した。これが物質界の原型となる『イデア』の『アイオーン』たちだった。

この『アイオーン』たちの住む世界が『プレーローマ』である。


『イデア』が何であるのかについてはとても説明が難しいのだけど、これがプラトニズムの基本概念らしい。『物事の本質』とか『心の目に見える姿』とかいろいろ解説があるのだけど、ここでは『神格』としておきたい。

『命の神さま』とか『真理の神さま』とか『知恵の神さま』とか、神さまたちに割り当てられた『神格』が特定の概念となり、人間の言葉に置き換えられる。

『プレーローマ』の意味は『万物が詰め込まれた満たされた次元』というような解釈がいいのだろうか。文字をそのまま読めば『ローマの前』。『人間の世界が生まれるより前にあった神々の世界』で、全てはそこから流出して形づくられた、というような意味で『プレーローマ』とネーミングされたのかも?

『プレーローマ』も『アイオーン』も、時間的概念の中で生まれた表現のように感じる。

ソフィア神話においては、30柱の『イデア』を持つ『アイオーン』が登場する。なぜ30かというと、エジプトの古い暦でひと月が30日だから、という説がある。

中華で甲・乙・丙・・・というように日にちを十干の神さまの名前で数え3旬で一月としたのと同じように、数字のなかった時代では神さまの名前を使って一月を巡っていたのかもしれない。陰陽があることもよく似ている。

全くの余談だけれど、中華の夏王朝の時、10個の太陽(十干)が順番で巡っていたのだけれど、ある時一度に10個の太陽が全部出てきてしまい、大混乱が起こったらしいのだが、一人の英雄によって9個の太陽が射落とされて平穏が戻ったという伝説がある。

史記を読めば、この英雄譚の頃に夏王朝に試練があり、中華の暦法が天時を廃したらしい。おそらくここで太陽暦から太陰太陽暦に代わっているのであろう。一種の政変騒ぎがあったようだ。

この変事で、夏王朝復活に貢献して会稽に封じられた人物が、『魏志東夷伝倭人』に『邪馬台国』の始祖で、断髪・文身を始めたのは彼であると、しっかりと書かれている。つまり『邪馬台』人は疑いようもなく、もともと刺青文化を持つ『越人』であり夏王朝の末裔なのであるが、史書を語る『邪馬台国』の研究家が誰もそのことに触れないのが謎である。

それはさておき、この30柱の神さまの末っ子がソフィアであり、地上に生命をつくった造物神の母神になる。

ソフィア神話によると、この『プレーローマ』の30柱は三つのグループに分かれている。最初の8個組(4柱)は雌雄同体の『独神(モノゲーネス)』。次の10個組と12個組は雌雄別体の『多神(ポリゲーネス)』らしい。

日本神話の冒頭に登場する『高天原』の神さまにもなぜか三つのグループが存在する。最初の5柱グループ『別天神』は、皆『独神(モノゲーネス)』(つまり陰陽10個組になる)。次の2柱グループもまた『独神(モノゲーネス)』(4個組)。次の5代と数えられる10柱のグループは『多神(ポリゲーネス)』である。

数字に違いがあるけれど、神さまの世界に特別な名前があり、そこには三つに分かれた神さまのグループがあり、最初のグループは『独神(モノゲーネス)』で最後のグループは『多神(ポリゲーネス)』になる。そしてどちらも、その末っ子の女神が『地上の神々』を生むことになる。

エジプト神話のソフィアと、日本神話のイザナミがそっくりだというのは、そういうわけである。おまけにどちらも過失を犯してまともな子供を生めず、どこかへ流してしまうのも同じ。

微妙に違いはあるけれど、『プレーローマ』は『高天原』のネタ元ではないか、と推測してしまうのである。

ソフィアの物語

『ネグ・ハマディ写本』の解説本から『ソフィア神話』を理解したいのだけど、これは難しすぎる。話は一つや二つではないから、どこをどう読むべきなのかもよくわからないけれど、神話としての概略は同じだろう。

動機はいまいちよく理解ができないのだけれど、不可視の神として一番最初に生れた原父が『アイオーン』を生んで宇宙をつくったように、原父を尊敬し憧れる末っ子のソフィアは、同じように自分の生みだした存在によって生命をつくりたい、という欲望にかられてしまったのではないかと思う。

ところが、本来は陰陽の伴侶と共に成すべきことを無視し、傲慢にも単独でそれを実行してしまったために、ソフィアは欠点だらけな物質界の神『アルコーン』を生み出してしまったようである。

『アイオーン』は時間的な概念を意味し、『アルコーン』は統治者の持つエリア的な概念を意味するように思える。

つまり、生れた『アルコーン』の欠点は、父神を無視した母神の傲慢に起因するという設定なのだろう。

日本神話のイザナミも、出しゃばったせいで不完全な神を生んだことになっているし、聖書のイブも、夫をたぶらかして禁を犯し罰を受けている。どうやら人間の苦悩は全て母神に由来するのだ、としなければならない古来からの男性の思わくを感じてしまう。これって、子を生めない男性のある意味コンプレックスが神話に反映されている?それとも、悪行を実行する男性のいいわけ?

ソフィアは、『ライオン』と『蛇』のミックスキメラみたいな姿の、傲慢で醜い『造物神』を生み出してしまったのだ。『ライオン』と『蛇』という表現がされたのは、神話の生まれた舞台がエジプトだったからだと思うのだけれど、私にはそれこそが『龍』ではないか、という感覚だった。


不可視の神々から『盲目(サマエル)』あるいは『ばか者(サクラ)』扱いされた物質神は、母によって辺境の星に落とされてしまうが、その星で物質神は『造物神(デミウルゴス)』と呼ばれるようになった。つまりこれは『創造主(クリエーター)』の別の呼び方である。

ここでちょっと思うのだけど、これってまるでアンチヘブライのパロディーみたい。

我々『人間(アダマス)』は、この『ばか者(サクラ)』から生れた被造物なので、愚かな行いを繰り返し、どうもがいても『悪』から逃れることができずに苦しんでいる。

ところが、『人間(アダマス)』には造物神から造られた『心』『体』とは別に『光の世界』より知らぬ間に『霊』が吹き込まれていて、造物神を凌駕する崇高な存在となっていたのである。

『霊』の導く光の世界に到達すれば、この世の不幸や悪から逃れることができる。人間たちよ、そのことに気づけ。光に向かわねば造物神の思惑のまま、悪の世界に肉体を囚われ続けようぞ。

というのが『ソフィア神話』の概略だと思う。ギリシャの中にユダヤとイランとインドがないまぜとなった、エジプトの習合思想だ。

どこか、根の国に落とされた乱暴者のスサノヲ神話に通じるものがあるような、ないような?

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: ID_Line.png

<< 直前ページに戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA