くびき郡

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くびき郡について

『くびき郡』というのは、南越後を指す古い名称。律令制度下で、郡が置かれた時からの郡名であるのだが、平成の大合併以後はすっかり忘れ去られた名前になっている。

かつてこの地は蝦夷との闘いにおける前線基地だったし、俘囚(ふしゅう)の痕跡の多いことからも『くびき』という名称が『蹂躙の地』を意味するのは明白だ。

久比岐氏や青海氏は、神武東征に功績のあった椎根津彦の後裔で倭国造とは同族らしく、久比岐国造は崇神朝によって任命されている。かなり早い時期にこの地を掌握していたことになる。

『タタールのくびき』のごとき、征服者による重圧がこの地を襲ったことが推測できるのだが、後にヤマトタケルが東国にやってきた時にも、強く抵抗していたことが報告されている。

その『くびき郡』は、西の飛騨山脈(北アルプス)と東のくびき丘陵に挟まれた『フォッサマグナ』と呼ばれる中央地溝帯の北部に位置する。
石器文明において黒曜石(こくようせき)翡翠(ひすい)の流通によって繁栄していた場所としても知られるが、特別な石が形成されたのは、プレートがひしめき合う地形によるところが大きい。妙高山は日本の真ん中を走る火山帯の北端を構成する。

左の山脈と富士火山帯との境目がフォッサマグナの西淵。東淵は不明瞭。

2016年5月撮影 火山帯最北の焼山が噴煙中

海の向こうに佐渡島がうっすらと見えるこの地から、『越後』の古代が始まった。

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