
須弥山について

『須弥山』というのは、中華から渡ってきた仏教の中に登場してくる聖地の名前である。
仏教発祥のインドにおいて、難解となってしまった思想が廃れ行く時代に、生き残りをかけて神々と習合し、それが中華に渡った時に、聖地を『須弥山』という漢字に充てたものらしい。
この思想を、中華から日本に持ち込んだのは『空海』。これが後の日本の山々を特別な術者世界へと誘うのである。
インド神話においては『メール山』というのが『須弥山』になる。ウィキペディアによれば、『善』を意味する『ス』が接頭語となり『ス・メール山』となったらしい。『メール』の意味は言及されていない。仏教に限らずインドの全ての思想にこの聖地は共通しているという。
同じ概念の聖地がイランにもあり『ハラ山』と呼ばれる。『ハラ』の意味は『高い』。おそらく『メール』もそういう意味だろう。だから、中華で『スメール山』を『妙高山』と意訳したと解釈できる。
イランとインドの聖地は同じ概念。つまりインド・ヨーロッパ語族の『アーリア人』が持つ古来からの聖地が『妙に高い山』であり、そこが『天』につながっているのだろう。
『須弥山』の詳細を地図に照らし合わせてみると、『ヒマラヤ』つまり大陸の中央で行く手を阻む高い要害エリアが、その聖なる世界を守っているというように感じられる。造山活動の記述も見られる。
『ヒマラヤ』の中に実在の『須弥山』があったかどうかはわからないが、中華にも『崑崙山』を聖地とする思想がある。インドから見る『ヒマラヤ山脈』と、ノマドの見る『天山山脈(神の山)』と、中華から見る『崑崙山脈』の向こう側のどこかに、神々の住む山があったとしても伝承は矛盾しない。
『忉利天』とは?
『忉利天』というのは、『須弥山』の頂上にあるという帝釈天の住む聖地である。帝釈天というのはインドラというインドの神さまのこと。

つまり、日本に渡って来た『須弥山』というのは、仏教だけでなく様々に習合したインド思想の聖地なのだ。インドラが頂上にいる、という思想なので、現在のヒンズー教よりも古い思想がベースとなっているようだ。ここに日本へと伝わった、大乗仏教の誕生とインドにおける仏教衰退の秘話がありそうだ。