かつて「太陽の暦」から「月の暦」に変革した中華の暦
その背景と倭人誕生の謎を考えてみたい

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って、何だ?それ。
と思うだろう。
「ゆえゆえもんたん」は、この個人サイトのひとつのカテゴリ。あまり語られることのない古い伝説などから、アジア世界のことを考えてみたいと思ったのだ。
「越月夢譚」という漢字を中華の普通語で発音したものを、日本語のひらがな表記にしているから意味不明になっている。日本語で「越の月の夢がたり」としようと思ったけど、あえて中華の読みを充てることにした。
何でわざわざ中華読みする?
って、話になるよね。
ゆえの国から来た
なぜかほとんど話題にならないのだけど、倭人のルーツは「
・・・と推測できる「夏后少康の子」の話が「魏志」の東夷伝 倭人の項に初見する。
中華の伝承によれば、夏王朝6代帝少康の庶子が、夏王朝最初の王である禹王の墓守を父帝に命じられて会稽に封じられたことで「
そんな夏王朝の「少康の子」が倭人習俗の祖として書かれたのは、卑弥呼時代の記録である。
つまり邪馬台国のルーツは、中華の春秋五覇に数えられたほどに隆盛したにもかかわらず、滅ぼされて南方へ散り、百の国に分かれたと記録される「
いや、邪馬台国がそうだったとは限らないけれど、「分かれて百余国」と記録される倭人の国と、「百越」に分かれた歴史を持つ越国は確かにつながりがあるのだろう。
「越人」というのはおそらく、河を「越えてやってきた人」を意味するのだろうと思う。中華東部で麦作の北部と米作の南部を分ける分断ラインは淮河らしい。
境界の河を越えてやってきたという意味では、ユーフラテス川を越えてやってきたアブラハムの子孫が「ヘブライ人」と呼ばれたことと似ているのかもしれない。「ヘブライ」の原語は「川の向こうから来た者」を意味するらしい。
最初の越人が入れ墨をして海の災厄から身を守ったことで、海人たちにその風習が受け継がれてきたと、史書は書いている。紀元前2000年~1600年頃の話と推定できる。
けれど、身体や顔の入れ墨する風習は、実はもっと古く謎めいた長江世界の文明に由来するように思えてならない。倭人を追うことで、謎の長江文明という世界に広がっていきそうだ。
倭人の習俗が、色濃く現代まで痕跡を残しているのは長江上流域の山岳地帯なのである。それがインド東部や遠く離れたポリネシアな海洋世界まで広がっているのは実に興味深いし、しかもそういう世界から日本文化に通じるものが見えてきたりするのも事実だ。
ところが、「魏」の次の王朝「晋」の史書になると、倭人王のルーツは「
卑弥呼の跡継ぎは、戦いに敗れて主導権を失い、かつての仇敵にそれを奪われてしまったように見える。それは狗奴国だろうか。

弥生時代の海人にありえないコスチュームだけど
AIさんに描いてもらったので・・・
でもまぁ、時代は三国時代終末だし今どきの中華ファンタジーっぽくて好きだ

まぁ、どちらの国にしてもまさにジャポニカ米のふるさとであり、北から河を越えてやってきた貴人の末裔であり、好んで海に沈没して魚や蛤を捕る倭人習俗の海人たちである。
つまり、古代中華の史書にかかれた倭人の覇王は、稲作を日本に伝えたであろう長江流域の民族をルーツに持ちながら、後に中華を追われて海に散ってしまった人たちであろう。
彼らは実際「日本国」の成り立ちに大きくかかわっていると思えるけど、果たしてこれが日本書紀や古事記に書かれてきた現王朝につながっているのかは謎である。
ポリネシアまで伝播し、現在まで残る美しき入れ墨文化は、日本列島や朝鮮半島からは遠い昔に消え去ったのだろうと思うけれど、でもその消えた世界のことを考えなければ「日本」が残した神話の語る意味や信仰の源流はたぶん見えてこないのだろうとも思う。
ゆえから生まれた天・*.: *★*・
古代、アジアの時間は「月」を基準にしながら農耕に役立つよう「太陽」を取り入れた「太陰太陽暦」でつくられていた。
アジアってどこ?というと、ヨーロッパ以外のユーラシア大陸と南東の島々、というところだろうか。

メソポタミアで始まった天体観測がイラン高原を越えてインドや中華まで伝わっている。中華の文化圏にあった日本も江戸時代まで中華の「太陰太陽暦」を使っていた。アジア世界とかかわりの深かったギリシャやユダヤも「太陰太陽暦」だった。
アジアでは「
ちなみに、エジプトの暦はシリウス星と太陽の関係でつくられた太陽暦で、ローマはそちらの影響を受けていたために、現代の私たちは太陽暦を使うようになったらしい。
乾燥地帯の水辺で文明が栄えたのは「天」の意思や法則を記録する「文字」が発達したことが要因ではないかと思う。少なくとも、そこに文字があったから「高度な文明があった」と私たちは認識している。
「天」と通じ「文字」を記録しうる者が政を行えるようヒエラルキをつくったことで、農耕文明が飛躍的に進化し始めたと思える。
望遠鏡だの電波だのを駆使して宇宙を数値化する現代では、月から生まれたアジア世界の深淵なる時間の概念はすっかり忘れられてしまっているけれど、なぜかこんな科学の時代にも、私たちは天の星の占いから離れることができないでいる。実に面白い。
「神」すら包括する「天」という思想が一体どうやって生まれて来たのか、とても興味深い。

かつて中華が「太陽の暦」から「
中華では「越」と「月」が全く同じ「yue」という音で結ばれている。「月」が境界を「越えて」やって来たところに「天」というアジアの政治観や宗教観が生まれた。
学者でもない私がそんな話を書いてもただのファンタジーだけど、もとより謎解き主婦の独りよがりの夢物語なので、思いつくまま書いてみてもいいだろう。
忘れられた世界のことを夢想し「ゆえ」を重ねて中華読みした懐古ファンタジーが「ゆえゆえもんたん」である。