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「氏」と「姓」の学習

Posted on 2025-07-032025-10-12 By Sacla 「氏」と「姓」の学習 へのコメントはまだありません

「氏」と「姓」
その字解を見れば「勝ち取ったもの」と
「一人の女性から生まれ出たもの」と
そんな違いがありそうだ

Photo by PhotoAC エリザベスさん

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「氏」と「姓」の学習

このページの内容・*★*.:.*・
氏・姓・名字・苗字
「姓」は母系「氏」は父系

世の中は様々な手続きを必要としている。そしてその必要の度に、自分の名前を書くことになる。

自分の名前を書くのは、自分で書いた名前に責任を持つということだね。いちいちめんどうだけど、自身の意思が尊重されるということだから、嬉しいことだ。

それで、書類の記入フォームに向き合って名前を書こうとすると、ファミリーネームの記入欄に「氏」とか「姓」とか書かれていたりするわけだけど、この表記には統一性がない。

「氏」も「姓」も同じファミリーネームを意味するけど、この表記のちがいは何だろう?

ある時、それが気になった。

お役所について言えば、「年」の表記は和暦を使う。国際化した現代ではいちいち計算がめんどうだったりするけれど、天皇さまのいる国だからそうなるのだろう。暦を握るのは、昔から「天」がつく君主さまたちの特権なのだ。

「氏」と「姓」の表記もそういうものと関係しているのかと思えば組織によってマチマチだし、ファミリーネームの表記に「親方日の丸」仕様というのは関係がなさぞうだ。

それにしても、ファミリーネームのことは普通「名字」と言わないだろうか?ところが「名字」と表記されたフォームには、めったに出会わない。

それに「苗字」という表記もあったではないか。

そもそも我々庶民は明治の法令に従って「苗字」を持つようになったはずなのに、その「苗字」という表記はどこに消えたのだろう?

平民苗字必称義務令 👉

・・・などと考えてしまうのよね。

どこか遠い記憶に「氏」と「姓」について学習したような気はするけど、よく覚えていないのはきっと私が授業中に先生の話をよく聞いていなかったせいなのだろう。

でも・・・学習をサボった私だけのことじゃなくて、誰に訊いてもやっぱりあいまいでよくわからないのだ、この問題。

どうやらそれは「どうでもいいこと」らしい。そうでなければ、それなりの立場の人がきちんと説明してくれるはずだが、これをきちんと説明してくれる場も人もない。

この「どうでもいいこと」について、ちょっと追及してみたいと思う。

そもそも何で「どうでもいいこと」になっちゃったんだろう?

氏・姓・名字・苗字・*.: *★*・

この四つの違いを、物知りでウンチク好きな人に尋ねてみたら、渋い顔をしてはぐらかされてしまった。

やっぱり、その違いや用法は説明ができないらしい。多くの人を管理する法人組織で人事とかやっていたらしいのに、皆があたりまえに「それは同じもの」と思って問題にしないから、このことについては「どっちでもいい」というスタイルでやってのだろう。

それで、いつものようにネット検索で調べてみた。

「氏(うじ)」というのは、血族を中心としたファミリー集団だ。ただし、かつては血族以外にも身分の低い労働者たちを含む組織的な呼称だったらしいので、純然たる血族を意味するわけではなく、どこかヤクザ的なファミリーという印象がある。

大昔、荒れ地を開墾してそこに住みついた農耕する一族を、土地の名前で識別して呼んだのが「氏(うじ)」の始まりだったのではないかと思う。「うじ」という奇妙な日本読みは「生(う)まれの地(ち)」みたいなものか?土地に「氏神さま」を祀って、祭祀によって一族の基盤と序列をそこに築いたのだろう。

それが「本貫」として登録され、律令時代に「氏」の根幹は「土地」みたいなことになったのだろう。

そういう土地を主体とした複数の氏族をひとまとめにしたボスの縄張りを「シマ」と呼んだのではないだろうかと、想像してみたくなる。往き来が難しい大きな川の向こう側は、別の「シマ」だったのかもしれない。

日本書紀では、島とは言えない地続きの「越州(こしのしま)」を「シマ」とふりがなしているわけで、「シマ」とは海の中に姿を現す物理的な「島」というより「船で往来する場所」と解釈してみれば納得できなくもない。

古事記で一つのシマが三つ子だったり四つ子だったりと記述しているのは、物理的な一つの島の中に複数の「シマ」があったということだろう。

広辞苑によれば、北陸地方には「澗(ま)」という言葉が残っているという。もともとは出雲の言葉らしいのだけど、この言葉には「山あいの水辺」という意味の他に「船着き場」という意味があったらしい。

これを管理するのが「澗主(まぬし)」ということらしいが、北陸で命脈をつないだ出雲の「澗主(まぬし)」は、「反子(そりこ)」という船を管理したボスであったという。中世では漁船の親分だったが、オオクニヌシ時代の「マヌシ」はヤマト以前からある「船着き場」を支配したボスのことであり「シマ」の名前に冠される存在であったのではないだろうか。「氏(し)」を束ねる「澗(ま)」の主。だから出雲は大和朝廷より前からある「シマ」の「根」になった・・・のかも?

ちなみに、Google翻訳で「澗」を韓国語に翻訳してみたら「国」という意味がでてきたので驚いた。古代の「氏の澗(シマ)」は「氏」の「国」を意味するのか?

「シマ」でヤクザ映画を連想しながら、神話時代の「シマ」の奪い合いを考えてみたら、妙な符合に出会ってしまったのだった。

日本を構成する最初の淡路洲(あわじのしま)が吾恥島(あはじしま)と名を貶められ捨てられてしまった意味不明な日本神話の伝説も、権力争いの伝承とみれば理解ができる。

国が成長していくプロセスは、そういう農耕民の「氏」を束ねる大親分たちを懐柔したり排除したりして、「シマ」を取り込んで拡大していく、というようなことだったのではないかと、記紀を読むに思うのだ。

まるでヤクザ映画みたいに・・・首の挿げ替わった親分に「シマ」の子分たちは従っていくしかないね

その点、「シマ」を持たない非農耕民である北の狩猟民の対処には手を焼いたにちがいない。中華が道理を異にする北の遊牧民に手を焼いたように。

朝廷の管轄する「シマ」では、荒れ地を開拓して「氏名(うじな)」を勝手に名乗ることも可能だったけど、一族が権力を得るためには朝廷の発する「姓(かばね)」という、朝廷ヒエラルキーにおける地位を示す称号を得なければならなかったらしい。

その「姓(かばね)」の称号を得るため、親分たる「氏上(うじのかみ)」は朝廷の認める「氏名(うじな)」が必要だったらしい。そうやって格付けされた名前を持つ親分の親族は「氏人(うじびと)」と呼ばれた。

そこら辺で好き勝手にファミリーを名乗っているゴロツキには、朝廷は権力を与えない。朝廷に服属する「お墨付き」として、一族のボスには付与された名前や階級が必須だった、ということらしい。

そうやって朝廷から認められた「氏族」が、血縁を中心に組織を拡大させ、「姓(かばね)」によって朝廷内の地位を確立していくことになる。

そういうわけだから、「氏(うじ)」というのがファミリーネームだと解釈していいのだろう。「姓(かばね)」はあくまでも地位を示す称号だから、これでファミリーを区別することはできない。

そのはずなのに、『姓』の文字が『氏』と同じようにファミリーネームとして扱われているのはなぜ?

調べてみると、階級を示す「カバネ」と同じ漢字でありながら、「セイ」と音読みするファミリーネームとしての『姓』も、実はかなり古くからあったらしい。

中華で『姓』はファミリーネームなのだから、そうなるのは自然だろう。漢字は一種の記号であり、基本的に「読み」は自由だけど「意味」は統一される。そうでなかったら数多の原語を包括する中華という世界において文字としての機能をなさないのだ。

そもそも日本独自で『姓』の文字を「地位」を示す概念に充てたから、ややこしくなるんだよね。

もしかしたら「漢」とは異なる政治モデルを取り入れながら、「漢」の文字に充ててしまったくいちがいが生まれたのかもしれないという気がする。

いずれにせよ「漢」時代以降の「姓」という意味になった転換期が、古代のどこかにあったのだろうと思う。

それはきっと、中華の王朝が混乱の時期を脱して確固たる地位を確立し始めた7世紀前後の頃なのだろう。日本も「朝貢」し、文化や政治制度を中華からきちんと学ぼうとし始めた頃のことだ。

そういえば「天皇」という称号は、北朝の王が「天王」を名乗っていたことと重なるのよね。中華を統一した「隋」王朝はそんな北朝の中から生まれ、南朝を滅ぼして「皇帝」の称号を得て、絶対的な権力を示し始めた。

日本の王様は、北朝の「天王」と南朝の「皇帝」をミックスして「天皇」という独自の称号を示したけど、これ、日本人の純粋な発想から生まれたとは思えないほど絶妙に中華的な称号だよね。

日本人は夜空を彩る神々を無視して太陽神ばかり拝んでいるのだから、それでは天則は見えてこないし、こんな称号は思いもつかないだろう。

中華は古くから夜(あるいは夜と昼の境目)に明らかとなる天を敬い、「天道の妙」を読んで超越者の言葉とし、「天」を「神々」より上位の絶対的なる存在として仰いできた。だからその文明の頂点に立つ者は「天子」を称し暦を支配する。この概念が始まったのは「周」王朝からなので、神の子キリストの誕生よりも千年前になる。

そういう「天上」の世界観から道教という「無為自然」の思想や「天皇」のような異次元の主も生み出されているのだけど、日本のシマにいてそういうことを知るのは、そういうことを教えてくれた人々がいたからだろう。

そして、中華の「思想」を取り込んで「大王(おおきみ)」を「天皇」と位置付けたと思われる時期は、「倭」が「日本」という国号に変わった時期とほぼ同じ頃と推定できる。

この「日の本」という概念も、中華の古い神話の中に登場する東海の果ての昇陽するカリスマから発する。中華との関係を築く上でこんな絶妙な国号を発案するのは、やはり中華をよく知る人々の知識の賜物と思える。

中華の政権統一には、必ず多くの血が流れる。「隋」が中華を統一した過程で、多くの中華文明が東に向かって惨事から逃れただろうと思われる。

その前からも、後漢の滅亡で日本に流れて来たという「あやひと」なる漢人もたくさんいて文化的な貢献があったみたいだし、日本が国書を携えて朝貢に向かったのも、中央集権体制が始まったのも、そういう渡来人の協力あってのことだろう。

大陸の文明が華やかに流入し、国号や大王の称号を変えてしまうほどの、あるいは史書を編み出してしまうほどの、本気で中華を意識した脱朝鮮半島な文化改革の時期が、確かにあったのだと思う。

このあたりから、地位を意味する「姓(かばね)」の文字が、ファミリーネームを示す本来の意味を取り戻したのかもしれない。

ただし、「氏(うじ)」は自称でも「氏(うじ)」だけど「姓(せい)」と言えるのは天皇から賜ったものだけとなる。意味は同じようにファミリーの識別だけど、「氏(うじ)」は土地に由来し、日本の「姓(せい)」には天皇に由来する「特別な格」が付随してくる。

つまり「氏(うじ)」と「姓(せい)」の違いは「天皇制の中の格」なのだね。

「平氏」「源氏」という「氏名(うじな)」のようなファミリーネームも天皇から与えらえた特別な「姓(せい)」であるはずだ。本来は「平姓」「源姓」とするべきなのに、そこに朝鮮語みたいに尊称としての「氏」をくっつけて「音」で呼ぶから、「氏」と「姓」はまたまた混同してややこしくなっていく。

結局、こういういろんな言語の寄せ集めみたいなクレオール語から生まれた日本語の「勝手に呼称する」性質が「そんなのどうでもいい」ってことになっていく理由のひとつになるのだろうか。

そして、一般人がこんな「どうでもいいこと」にこだわりを見せると嫌味とされる風潮もそなわっている。ここはひっそりとブログにでも書いて一人で納得していくしかない。

江戸時代には、一人の貴人には「氏名」「姓名」「実名」「通称名」「幼名」「役職名」等のたくさんの名前があったのに、一般人はファミリーネームすらも持つことができなかった。

そこに、カースト制のジャーティにも似た識別方法が、江戸時代の一般人の血筋を示すタイトルとしてついてまわっていた、というのもある。考えてみれば古代の「カバネ」の実態さえ、血よりも重視すべき「ジャーティ」のような階級による運命的血筋概念なのかもしれない。

ジャーティ 👉

何しろ、日本語の成り立ちを追っていくと、タミル語がかなりの割合でかかわっているらしいので、日本語の成立期には中華文明よりもインド文明の影響が濃かった可能性もあるだろう。

日本語はどこからきたのか 👉

江戸幕府もまた中華の儒教思想と、インドのヴァルナ思想を真似て独自のヒエラルキーを構築したのだろうか。平等や博愛を謳うキリスト教が弾圧され、死後や超常世界を夢見る仏教を擁護したのは、そういうことかもしれない。

宗教の本来の目的である「自己の幸福」を追求させず、権現様のような雑多な神々をバラまいて信仰を屈折させた理由は、不満や欲求の矛先を超常的対象に向けさせる、というようなところにあったのかもしれない。

何だかファミリーネームの謎を追いかけているうちに、「まつりごと」の裏側が気になってしまったが、そんな古い政治をとりあえず改革した明治政府は、人民を管理するためにファミリーネームを持たない一般人に「苗字」を持たせて「氏」とし、これに対して古来の「氏姓」を「本姓」としたらしい。

だから明治時代には、かつて「天皇より授けられた格式あるファミリーネーム」は「姓」。それ以外の諸々のファミリーネームは「氏」という区分けになっていたのかもしれない。

ところが、平等意識の高まりと敗戦後の自虐的風潮が加わって、天皇由来の格を問う者はいなくなった。

それが今日、文字による格付けを詮索せず「どうでもいいこと」にした理由のもうひとつなのではないだろうか。理由があって「どっちでもいい」ではなく、理由なく「どうでもいい」ものなのである。

ちなみに私の家はお寺だったので、本来出家者にファミリーネームなどはない筈なのだけれど、明治政府に懐柔されて、在家の人と同じように「苗字」というものを持ったらしい。まぁ浄土真宗なので、明治政府と関係なく元々婚姻の習慣があったわけで、そのファミリーである私は「〇〇寺の」とか呼ばれなくてよかったと思っている。

「名字」と「苗字」につては、別ページで書くことにしよう。

「姓」は母系「氏」は父系・*.: *★*・

ところで「姓」という文字は女偏である。

実はこれ、太古の母系社会に由来しているらしい。

今度は漢字発祥の中華の事情を調べてみた。

中華の「姓」はミトコンドリアな血脈ネームということらしい。

それで、中華の古い時代から続く由緒ある姓は、女偏の文字が多いらしいのだ。

周の王さまの姓が「姫」さま
であるみたいに。

そうそう、これずっと気になっていたけどやっぱそういう理由があったのか。

これが、あの男尊女卑思想を確立した春秋時代頃になると、父系集団に対して「氏」という文字が使われるようになったということが、どこかに書かれていた。

「氏」はY染色体な血脈ネームというわけだね。

土地に定着した社会では男子がその土地を守り、Yの血統を守る傾向が生まれる。

男女ともどもに血筋にこだわって血族婚姻してしまうと遺伝子的によろしくないという事情が発生してしまうことになるので同族の女子は排除される。もしも優秀だからと女子が当主になって血族外から婿を入れると、Yの血統が別のものに移ってしまうのだ。

男尊女卑思想は、案外利己的なY遺伝子の思惑なのかもしれない。

自己複製を守ろうとする利己的プログラムに、日本の皇室を始めとする由緒ある血族は支配されているわけだね。

ところで、中華の古代人の名前を見ると、男子のファミリーネームは前についているが、女子のファミリーネームは後につけられている。

妲己(だっき)は己(き)姓の妲さん。褒姒(ほうじ)は姒(じ)姓の褒さん。といった具合。

だから、中華の母系社会では本来、西洋人のように「名+姓」だったのではないかと思ったりする。農耕の父系社会になると、個人より土地に密着した「氏」が強調されて「氏+名」に変化したのではないだろうか。

子は母親に育てられるのだから、古い社会が母系であっただろうことは想像ができる。

あの大型のマンモスも、男たちが集団で追いかけて狩猟しつくして絶滅させてしまった、なんていう話もあるくらいなので、男たちは家族と離れて狩猟現場にいることが多かったのかもしれない。あるいは亡くなる危険も多かったと思われる。

男たちは狩りのために出掛けるのだから、残された女たちが水辺の近くで集団で過ごしながら、子を育てたり植物を採集したり分け合ったり、仲間たちとの政治を行ったのだろう。生まれた男子は育つと狩りに出かけ、女子は次の世代の子を産み育てる。血脈を示す姓が母系から生まれた意味はよくわかる気がする。

だが、農耕が中心になってくると事情が変わる。男たちがサル山のボスを気どりながら土地をめぐってイニシアティブをとり始めるだろう。そして戦いの文化が生まれる。

今まで男たちが戦う対象は捕獲するべき別の生き物だったのに、農耕を始めると敵は同種の人間となり作物や土地を奪い合う。

「氏」という中華の文字は両目をつぶされた被支配民を意味しているようなことが字解されていた。つまり「氏」は単なる血族集団ではなくて、勝ち取った土地に住んでいた肉体の自由を奪った原住民たちも含めていた、という話のようだ。

農耕というのは、大規模な灌漑作業が伴う。だから奴隷が必要で、土地を奪うのはそこに住む人間の奪取という意味にもなる。現代人は機械を使っているが、それがなかったらとても家族だけではやりきれないのだから、土地と人間や家畜の確保が古代農耕の実態だろう。

そういえば、夏王朝の王さまの「姓」は「姒(じ)」だったけど、世襲王朝が成立すると「夏后(かこう)」という「氏」に変えたと記録されている。つまり父系集団としての「氏」の確立は、春秋時代に始まったわけではなくて、農耕文化が確立された頃にはすでに始まっていたということのようだ。

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